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最後に、ひと言いいたいのですが、1953年4月中旬、天津から白山丸に乗船して、「朋友們再見」とスピーカーの声に送られて2泊3日で舞鶴港に上陸しました。収容所で多分一泊して大阪へ帰ったのですが、宿舎に新聞社や放送局の人達と一緒に厚生省引揚援護局の職員が聞取り調査にきました。
彼らが調査したのは、主として積極分子の動向や氏名年齢等で、中共の手先になっている共産主義者の調査が目的だったようです。2〜3人来ていましたが、前歴は関東軍特務機関員だったと言っていました。昭和28年当時から厚生省がまじめに残留孤児の調査をしていたら、もっと多くの残留孤児達が助かっていたかも知れない、と思うと残念でなりません。
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次回更新は8月17日頃を予定しています。
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