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「戦中・戦後を中国で生きた日本人」について

 大戦が終わったとき、中国には満洲だけで日本人が155万人いた。これだけ夥しい数の日本人が他国に押しかけて行って、一体どんなふうに生きていたのか、私はかねがね知りたいと思っていた。実は私の両親も満州事変の1年後大陸に渡り、敗戦まで中国各地を転々とした。私は母の晩年に中国で送った14年間のことを語ってもらったことがある。特別ドラマチックな話があったわけではないが、直接体験した者の話から伝わる“臨場感”に興味を覚えた。

 2002年、NHK ドキュメントで「留用された日本人」が放映されたことがあった。戦争が終わったとき満洲にいた日本人で、中国共産党から要請されて中国に留まった人たちを取材したものである。留用された人の数は2万人にのぼったといわれる。
 中国国内では、大戦終結と同時に国民党と共産党の内戦が始まった。満洲で留用された日本人で医療関係に携わった1万人近い人たちは共産党軍と共に移動した。その期間は4年近くに及び、国民党軍を追って何千キロも南下した。この間、鉄道や工場の修復に携わっていた日本人技術者もいたし、共産党の作った飛行学校で教え中国空軍の創設に協力していた元軍人たちもいた。
 内戦は1949年に決着がつくが、50年には朝鮮戦争がはじまる。留用された人たちは、1953年(昭和28)にようやく帰国できたのであった。

 戦後中国に「留用」された人がこんなに大量にいたということを知って私は驚いた。こうした「留用者」のことを紹介した著作も過去にわずかながら出版されていたようであるが、しかしこの事実はマスコミでもあまり大きな話題にされず、国民にあまり知られることなく、今日に至ったのではないだろうか。

 山西省にいた日本軍の1万人の将兵が、上官の命令で敗戦とともに国民党系の軍閥閻錫山(えんしゃくざん)の軍隊に編入されて共産党軍と戦わされた、という事実を初めて聞いたときも私は驚いた。大戦が終結した後でありながら、中国の内戦に巻き込まれて戦死した日本兵がたくさんいたのである。また、この内戦で敗れて共産党軍の捕虜になり後に帰国を果たしたなかには、日本国家を相手に今なお裁判闘争を続けている人たちがいる。その中心メンバーである奥村和一さんの活動を追ったドキュメント映画「蟻の兵隊」が今東京、名古屋、大阪で上映されている。(2006年8月10日現在)

 戦中・戦後を中国で生きた人たちの多くは80歳代になっている。この方々の健在なうちに、その貴重な体験を語っていただき、記録に留めておきたいと思う。

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