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29 残留日本軍の終焉

 すでに解放軍に占拠されているとはいえ、双塔寺の頂上にある観測所から見渡しますと、太原城の全戦局が視野に収まります。岩田と私たちは今や、思いもよらない局外の観戦者の位置におかれてしまいました。
  状況は絶望的です。しかし、4月23日と24日の太原攻防戦は、なんともいえない壮大なパノラマが展開されました。
  4月23日、四方から撃ち込まれる砲弾に、城壁はつぎつぎに崩され、その崩れ落ちる音が伝わってきました。山西軍側の発火点が一つまた一つと沈黙し、だんだんまばらになっていきます。そのうちに火薬庫がやられて、巨大な音響と共に、炎と黒煙が天高く吹き上げました。
メガホンで呼び掛ける解放軍兵士

  夕刻になって、砲弾はぴたりと止みました。薄紫の砲煙のたなびく靄のなかに、太原の街はひっそり静まっていました。
  私たちのいるところから、ほんの5,60メートルの塹壕に、双塔寺を取り巻くかたちで解放軍が警備しています。夜になると、そこから司令塔を護衛している山西軍の兵士に向かって呼びかけが始まりました。
  「太原の解放は近い。無駄死にするな。今のうちにこちらにやって来い」と呼びかけているようです。

  深夜にババババと銃声がおこりました。遮断壕をわたって解放軍側に脱走する一団を見つけて、山西軍側の督戦隊が銃火を浴びせているのです。すると間髪をおかず、その発火点をねらって解放軍側から猛烈な密集射撃がきます。それは逃亡者を援護しているのです。その後もいくどか同じことが繰り返されました。

  4月24日朝、いよいよ総攻撃がはじまりました。岩田と私も含めて5,6人が塔の観測所に上がって観戦することになりました。その光景は、言葉で言い表せないようなすごいものでした。私はなにか夢でもみているような感じがしました。
  最初に太原の周囲の城壁めがけて、いっせいに援護の集中砲撃が火ぶたを切って落としました。大地を揺り動かす轟音が一刻も休みなく続きます。城壁の発火点も懸命に応戦しますが、またたくまに圧倒され、片端から打ち崩されていきます。大東門・小東門一帯の堅固だった城壁が次々と崩されていきました。
  すると、たちまち解放軍の先頭に、鮮やかな色の大きな紅旗がはっと押し立てられました。それが合図ででもあったように、こんどは全線にわたり、そこからもここからも紅旗が押し立てられ、それらが一線に連なり、城壁を取り巻いて揺れなびきます。
  その美事さに、私は気を呑まれてしまいました。
  じっと見ていると、先ず砲兵が目標の敵陣に猛砲火を浴びせかけます。と見るまに銃をもたない旗手がぱっと躍り出て、ツツツツと前に走り、次の壕にがっしりと紅旗を立てます。間髪をいれず、1個小隊ばかりの兵がさっとその一線に進み出て壕に入ります。その間にまた別の旗が進みます。
太原城壁を登る解放軍の爆破隊

  ここが始まるかと思うと、あちらが始まります。全線にわたって砲撃と進軍が繰り返され、大きい旗小さい旗がたがいに競い合い、一つが前に出たかとおもうとまた一つが追い越してゆきます。
  太原城がこうして刻々と鉄の輪で締め上げられていくのが手に取るようにわかります。太原城の周囲はすべて紅旗で埋め尽くされました。

爆破された城壁から城内に入っていく解放軍

  いよいよ先頭が城壁の一角に近づいたとき、奇妙な一隊が迅速に前に駆け出しました。手ぬぐいで鉢巻をした民兵でした。彼らが、長いハシゴを抱えて城壁へまっしぐらに進みます。機関銃の援護のなかで、兵士がそのハシゴをするすると登っていきます。見る見るうちに、城壁のそこここに紅旗がひるがえりました。
  最後に前面の首義門がぱっと開かれました。日本軍の占領以来15年のあいだ、難攻不落の陣地となっていた大門でした。
  激しい市街戦が数時間続きましたが、そのうち白旗を掲げた機甲部隊を先頭に、閻錫山軍が続々と出てきました。

太原城内に入った解放軍

  太原城内に入った解放軍の部隊は、真っ先に共産党の地下工作員たちが拘留されている特殊憲警隊指揮処に向かいました。しかし、リーダー格の多くはすでに惨殺されていました。憲警隊指揮処では何千人の政治犯に対し連日リンチ拷問が繰り返され、多くの地下工作員が犠牲になっていました。
  この24日の早朝には、指揮処の処長は百名の憲警処員を地下室に閉じ込め、全員に青酸カリを呑めといって集団自殺を強要し、逃走する者は容赦なく射殺しました。そして自らもガソリンを撒いて放火し自殺をはかるといった、地獄絵巻さながらの光景が繰り広げられました。

解放軍に投降した残留日本軍。右手前が城野宏

  今村方策第十総隊司令ほか日本人幹部は、蜂の巣のように破壊された元第1軍司令部の建物のなかで、人民解放軍に投降しました。
  残留した日本軍のうち、550人が死亡し、700人以上が人民解放軍の捕虜となりました。


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