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山下好之氏 第5回:9.鶴崗〜10.民主連軍の反撃

9 鶴崗

 「そして46年の冬、佳木斯から鶴崗(つるおか)へ撤退して行きました。
 ここには鶴崗医科大学とその付属病院があって、日本人が150人ぐらいいました。病院の院長は大道少佐といいましたが、行ってみると日本軍の陸軍病院そのままの状態でやっているのです。職員の応対なども全く旧軍隊式なのです。しかし、武装解除された以上は、民主連軍の言うことを聞かないとやっていけないわけです。僕はこの頃は「民族幹事」という役柄でしたが、この医科大学の日本人の教授連中と職員を、民主連軍の要求に合うように間を取り持ってゆくのが僕の仕事でした。
 大塚有章さんは、この頃鶴崗炭鉱に来ていて東北建設青年突撃隊を組織されていました。この炭鉱には日本人が3千人ぐらいいたでしょうか。延安労農学校の副校長をしていた趙安博さんもここに来ていました。ある日大塚さんが僕たちの病院にやって来て、5月1日にメーデーがあるが、病院の職員もその日は参加してほしい、と言うのです。僕は病院側の政治委員に、「5月1日のメーデーに参加してくれと言うんだけど、どうですか」と言ったら、「とんでもない。万国の労働者の団結だとかなんだとか、そんなことは我々に関係ない。我々は、民主連軍の病院になって、患者の面倒をみ、教授連中の世話をするのに忙しく、そんなメーデーに行く暇などない」と断られてしまいました。大塚さんも諦めて帰られたが、そんなことがありましたね。」


大塚有章さん
 戦前からの日本共産党の活動家であったが、銀行襲撃事件を起こして捕まり、投獄された。出獄後は満洲へ渡り、満映(満洲映画協会)に職を得た。終戦後は満洲各地の日本人難民を救済するために東北建設青年突撃隊を組織して、その運動の先頭に立った。鶴崗炭鉱では700名近い若者が突撃隊に加わったという。この頃のことは彼の自伝『未完の旅路』(全6巻、1961~62年)の第6巻に精しい。

 「鶴崗には民主連軍の軍工部もいましたが、これは後方において、鉄砲、大砲の修理とか、衣服などを縫ったりするところです。ここにもたくさんの日本人がいました。
 鶴崗には、さらにまた満映がありました。大塚さんも元々ここにいたのですが、そこには木村荘十二だとか内田吐夢だとか誰もが知っている有名な監督や俳優もまだたくさんいました。この映画関係の人たちは、戦争が終わったことなどまるで関係がないようで、戦前そのままの恰好で、カンカン帽をかぶり真っ白い背広を着て街を歩いていました。それをまたみんなもの珍しがって、わざわざ見にいっていましたね。」


満映
 終戦と時を同じくして組織を解散し、これを中国人民に返すと宣言した。これは日本の事業体としては極めて特異なケースであった。そして、名前も「東北電影公司」と改められた。しかし、中国側社員の要望により、日本人スタッフや技術者150名あまりが残留して映画事業に協力することになった。満映はもともと長春(満洲国時代は「新京」と言った)にあったが、46年国民党軍が長春に攻め入った際、映画製作機材を没収しようとしたため、ここ鶴崗に撤退してきていたのである。残留していた日本人スタッフは46年8月に半数が帰国したが、なお80名が残って協力した。48年、共産党が反撃に転じて南下を開始すると、東北電影公司も鶴崗から長春に戻った。日本人の協力者80名は、1953年に帰国した。

 「ここにはまた中国医科大学がありました。この大学は延安のべチューン医科大学がこちらに移ってきたものです。そこではたくさんの医者が養成されていましたが、昨年(2005年)中国に招かれて行ったときに、当時この医科大学の学生だった高承賢さんが、広東からわざわざ僕たちに会いに来てくれたのです。高さんはその後内戦で南下していった50年頃には第四野戦軍の病院長になっていました。
 高さんと話していて、話題が当時の“大論争”のことになりました。あの頃各病院では前線から負傷者がどんどん運ばれてきていて、輸血の血が絶対的に足りなくなっていました。その不足している血をどうするかというのは深刻な問題で、僕たちはしょっちゅう議論をしていました。
 一方、当時共産党は各地で「土地改革・土地革命」を進めていました。土地改革は地主にたいする裁判から始まります。大きな広場で人民裁判をやり、農民を殺したことのある地主は、すべて銃殺になるのです。そこで、銃殺した地主の遺体からすぐに血を抜き取って輸血用に当てたらいいのではないか、そして、その遺体は解剖用にも使えるのではないか――そういうことを当時は大真面目に議論していました。」


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