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23 呉家村に残る者と移動して行く者
 
 3月14日、出発を前にして、日本人たちは阿部の家に集合した。この日のことは阿部も井口も言及しているが、内容は必ずしも符合しないところがある。
  先ずは、阿部の語るところを聞いてみよう。

 「最後の日本人会議が開かれた。井口博士、老川口、笠原君は、絶対に林家村を離れないと頑張った。
 『南花カン村は、呉家村よりは煙台に対し遠ざかる。宮が嘘を云って居るのだ。此処に頑張って、そして、この呉家村から、若い人々の脱出の成功を期待しよう』と。私は
 『・・・だまされると思って、私は南花カン村に移動します。脱出は、なんと云っても危険です。最後の最後の方法です。溺るる者の藁かも知れませんが、安全に煙台に行ける道が一つでもある限り、その道を選びます』
 到々二手に別れる事になった。それで金を分配する事になった。
 『会計簿を見ると、丁度23万円残って居るから、一人に1万円ずつ別けたらいいでしょう』という私の意見に、井口博士が大反対を唱えた。『阿部さんは、たった4万5千円出しただけで、6万円とるのは、怪しからん』との事である。
 『私は、15万円出したけれども、6万円でいいと思ったのだが、それならそれで宜しい』と、私は賛成した。結局、私の借りて来た10万5千円は、皆に対する餞別と云う事にして、1ヶ月の食費を支払い、余りの金は、独身者に分けてやろうと云う事になった。これで供出金は、そのまま供出者に戻る事になった。こんな事は、私にとってどうでもいい事である。」(『招かれざる国賓』188〜189頁)

 「ダモーイ」は、この日の光景を次のように描く。
 「私一人は罪人という汚名をきせられて、家族と共にこの呉家村に残らねばならない運命にあったので、心は沈み勝ちである。これに反して、帰国の夢を追う関屋さんは、いよいよ我が事成れり、とばかりに上機嫌で饒舌である。先日来彼と手を切った私の方を、小気味よげに眺めながら
 『井口君一家族を除く全員は、明日の正午を期して、南花カン村へ向って出発しなければならない。就いては、後に残る井口君一家族に、金と食糧を分配してやらんといけないと思うんじゃが、どうだろう?』
 皆んなに供出さして、手中に収めた金を、恰かも自分の金のように恩着せがましく言う、彼の態度は不快であった。笠原君が不思議そうな顔をして尋ねた。
 『残金は一体どの位あるんですかネ』
 関屋さんは勿体らしく、帳簿を繰りながら
 『うん・・・丁度23万円残っとる。家族とも日本人全員は23名じゃから、頭数1名につき、1万円の割りで分配すると、丁度いいなア』
 この勘定のやり方で行くと、12万円を供出した私は、7万円を受取ることになり、4万5千円しか供出しなかった関屋さんは、6万円を受取ることになり、誠に都合のいい分配方法を考えたものだと思ったが、私はさあらぬ体でポツンと答えた。
 『それでいいでしょう』
 ところが、ここに意外なことが起こったのである。それまで黙って話を聞いていた老川口が、大きなからだを乗り出して、突然叫んだのである。
 『おいどんもこの村に残り申すでのう。分配金とやらを、いただき申そうかのう!』
 一同の驚愕の眼が、彼に集中した。・・・関屋さんがゴクリと大きな音をたてて生唾を飲み込んだ。
 『老川口! 何を言うんじゃネ‼ 明日の移動は中共政府の最高命令だぞッ! この国で、命令に服従しない者が、どんな目にあわされるか・・・君はよく知っているはずじゃないか』
 『関屋! 共産党員みたいなことをぬかすなッ! ・・・明日君達の行く南花カン村はなッ・・・この村よりもっと山奥に這入って、海港よりますます遠ざかるばかりじゃ。馬鹿馬鹿しうて、ついて行けぬわ。おいどんは井口先生とこの村に残って、運命を共にする気持たい!』
 『ふん・・・できるもんなら、やって見給え老川口!』
 ・・・
 気まずい空気が流れ出した時、又一つ意外な発言者があった。それは、いつもの童顔とは、似ても似つかない緊張した面持ちの笠原君であった。
 『関屋先生! 僕もここに残留します。色々な意味で、今後先生と行動を共にすることは、お断りします。私は井口先生並びに老川口と運命を共にしたいんです』
 『そうか・・・君までがなァ。ブルータス汝も亦か・・・ってわけだな。だが笠原! 命を大事にしろよ。なにせ、君の行動は、罪人に荷担することになるからな』
 関屋さんの細い眼は、いまいましそうに、ジーッと笠原君の顔に注がれた。」(「ダモーイ」第19回)

 
 かくして、呉家村に残る者は、井口の家族7名、笠原の家族4名と老川口の計12名となり、南花カン村へ移動する者は、阿部の家族6名と鐘ヶ江や河野ら独身者たち5名の計11名ということになった。

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