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 ≪中国側では「責任をもって、無事に送り届けるから心配しないでほしい」と繰返し強調したのだが、私たちにしてみれば、こうして送還される人たちがほんとうに無事に帰れるであろうかと、みな無言のうちに心配していた。「これが娘との最後の別れになるのではなかろうか・・・」と、私たちといっしょに山東省に残る母の心はことに複雑であったにちがいない。
  母はときどき、滅入った調子でつぶやくように言った。「大丈夫だったろうかねえ・・・。赤ん坊は病気しとらんだろうか」「あの子は男まさりのしっかりした気性だから、何とかがんばっているだろうねえ」と、娘の身をしきりに案じていた。≫(『北斗星下の流浪』58〜59頁)

 新天地に希望を託してやって来た日本人たちの夢は、到着早々に打ち砕かれてしまった。彼らは全員で集まりを持っては、少しでも先行きの不安を紛らそうとした。再び石黒夫人の回想記――

 ≪時どき、合同夕食会を全員で開き、合唱や隠し芸などを次から次にやった。橋本さんの詩吟や、佐竹さんの仕舞、井口さんの歌、兄の謡などは、素人とは思えないぐらい上手であった。だんだん興がのってきて、みんなで唄をうたった。『椰子の実』『流浪の民』『荒城の月』などと、望郷の唄が多かった。
 母も、私たちと声を合わせてうたっていたが、感情がこみあげてきたのかだんだん目がうるんできた。唄のあと、私たちはほてった顔で、中庭に出てみた。夏の夜空は奥深く、美しかった。漆黒の空には天の川が流れ、北方には大熊座、小熊座なども眺められ、北斗の星がひときわ明るく輝いていた。栄枯盛衰の時の流れを超越して、山東の夜空でも、天上の星だけは全く変わりないのだなあと、私は深い感慨にふけった。≫(同上書、61頁)

 石黒夫人には、夜の明かりのほとんどない山東半島で見た星空が、強烈な印象として残った。しかし、その後の山東半島での生活は、星空に悠久の時の流れを感じてなどいられなくなり、国府軍の攻撃から逃れるため、標題通りの星空の下を流浪する旅が待っていたのである。
 1月あまり経って各個人の臨時の働き場所が決まり、それぞれの場所へ出発して行ったが、『招かれざる国賓』によると、阿部や井口たちは玲瓏金鉱に留まっていた。

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