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 ソ連は「中ソ友好同盟条約」によって、中国の政府代表権を重慶の国民政府に認め、これを支持すると公式に表明していた関係上、共産軍に対して公然と援助することはできない。しかし、満洲に進攻したソ連軍は、彼らの先導を務めた元抗日聯軍部隊との深いつながりもあって、押収した日本軍の武器を、こっそり共産党の軍隊に引渡すなどの支援策を行っていた。

 ソ連進攻後の満洲で、ソ連と国民党および共産党の3者がどういう関係にあったのかをごく簡単に概観したが、それがその後の展開にとって重要であるのは、国共内戦は先ず満洲の地ではじまり、やがてそれが全面戦争へと発展していくからである。

 さて、上記の9月11日の電文に返ると、山東半島は終戦と同時に八路軍の部隊を東北(満洲)に送りこむ拠点になりつつあったのである。
 中共が終戦とともに、このように華北・東北に部隊を集結させようとしている動向を早くから観察していたアメリカは、この地域が共産主義勢力によって固められてしまうことを非常に危惧した。
 アメリカ政府が第1に打った手は、8月21日に出した「一般命令第1号」である。これは、「中国(満洲を除く)、台湾、北緯16度以北の仏領インドシナにある日本軍指揮官および一切の空、陸、海軍は蒋介石委員長に降伏すべきこと」という内容である。この命令は、中共に日本軍占領地をその掌中に収めさせないためのものであった。そして、国民党軍が北上してくるまでの間は、日本軍にその占領地を警備させることにしたのである。
 アメリカは空軍と海軍との両方で、西南奥地の国府軍を華中・華北へとせっせと運んだが、それでも国府軍の北上は遅々としていた。そこで、アメリカ軍が国府軍に先立って山東にやってくる。

 9月11日、青島に上陸した米海軍第七艦隊は、航空隊3個大隊を擁し、110機の飛行機を用いて連日山東半島の偵察飛行をはじめた。
 山東半島の渤海湾の入口に面した港町・煙台(芝罘)は、昔から大連をはじめとして満洲の地へ渡る主要港であったが、終戦直後の8月24日、中共が制圧して「解放区」になるとともに、八路軍の集結拠点になっていた。
 この煙台に、10月4日、アメリカ第七艦隊の軍艦5隻が入港した。彼らは代表を上陸させ、中共側に対し、ここに駐留している八路軍の部隊を撤退するよう求めてきた。アメリカは海兵隊をここに上陸させる計画をもってやってきたのであった。中共側は強く反発し、八路軍総司令・朱徳のアメリカ軍に対する強硬な抗議にまで発展した。アメリカは、煙台への海兵隊上陸計画を結局破棄してしまった。(山東省地方史志編纂委員会『山東省史・大事記』2000年)

 山東半島では、青島だけが中共側に占拠されていない唯一の港湾都市であった。アメリカは、香港に駐屯している国府軍の大部隊をこの港に運ぶ計画を立てる。
 ところで、青島は終戦後山東周辺の在留邦人及び日本軍の引揚げのための集結拠点となっていたので、大勢の日本人がここに流入してきていた。
 10月、事前にやってきた米海兵隊は、日本人が使用している市内の諸施設を明け渡すよう要求してきた。青島の喜多総領事が吉田外務大臣に宛てた10月8日の電信が外務省外交史料館に残されている。

 「米国海兵隊(兵力不明ナルモ相当大多数ト見ラル)ハ近日中ニ当地ヘ進駐シ来ル趣ニテ 先遣部隊ハ既ニ到着シ目下市内ノ適当家屋ヲ物色中ニシテ 本日迄ニ明渡方要求アリタル邦人関係主要施設左ノ通ナリ(明け渡すべき施設の名称等省略) 尚此ノ外個人住宅ニ付テモ調査中ノ趣ナリ」

 日本側は命ぜられるままに、列記されている学校や軍施設、病院、会社等を明け渡した。
 それから1月後の11月14日、国府軍第8軍の部隊3万余が、香港の九龍から米第七艦隊の16隻の軍艦で青島に運ばれて来た。11月16日付の『毎日新聞』は「UP特約」としてつぎのような記事を載せている。

 「15日有力な中央軍は山東半島青島に上陸を開始した。同地は去月11日から米海兵隊に占領されていたが、同港を除く山東半島の大部分は共産軍が占拠しており、国共衝突はじまって以来の激戦が予想される。
 天津からのUP電によれば、青島に上陸中の国民政府第8軍は、米国製の小銃、臼砲、機関銃、火炎放射器など優秀な装備をもち、24時間以内に上陸は完了するだろうと伝えている。」

 しかし、新聞が予測しているように、これですぐに国民党が攻勢に出て、内戦が勃発したわけでない。逆に、米軍総司令官ウェデマイアーは、国民政府に対して極めて悲観的な見通しを表明していた。
 国府軍が青島に上陸したと同じ日の11月14日、ウェデマイアーはワシントンに、「蒋介石の中国政府は共産主義者の抵抗を押し切って満洲を占領するだけの準備をなんら整えていない」と報告した。
 続いて11月20日にも、彼はワシントンに、「私は蒋介石に対して、華北の回復に全力を傾注し、満洲占領の企図に先んじて、華北の軍事的、政治的地位を堅固にすべきであると忠告した」と報告した。(アメリカ国務省『中国白書』朝日新聞社、1949年)

 アメリカ軍の現地駐在指揮官たちは、ソ連の満洲占領の状況と、中共の華北・満洲における活動状況を見据えていて、このまま行けば、国民政府は今後多年にわたり満洲を占領することはできないであろう、と悲観的な見方をしていたのである。

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