logo

オーラルヒストリーとは お知らせ 「戦中・戦後を中国で生きた日本人」について インタビューリスト 関連資料

インタビューリスト


山東半島に渡った満鉄技術者たち 第9回

8 幻となった研究所建設

 順調に滑り出したかに見えた研究所建設であったが、間もなく陳博士は日々次第に浮かぬ顔をみせはじめた。そして、こんな言葉を洩らすようになった。――「今度、大連から招聘する技術者並びに全家族は、一応、玲瓏にひきとろうと思う」。
 阿部は心配になって、「煙台に研究所を建てることは、政府として、否決になったのか?」と問うと、「イヤイヤ、そんなことはない」と言う。

 

多少不安は残ったが、阿部は中試の井口たち宛に手紙を書き、さらにまた彼の日本語通訳をしてくれている侯氏が大連に行くことになったので、中試の所員たちに山東の受入れ情況をじかに伝えてほしいと頼んだ。ところが、侯通訳が煙台を離れた6月26日、陳博士は政府の意向を阿部に伝えた。その内容は、煙台に研究所を建設することは内戦の関係で無期延期になったというのである。阿部は次のように語る。

 「私は非常に驚いた。『大至急大連に連絡しなければなりません。大連の人々は、研究所が煙台に建設さるる事を予想して来るのである。此の情勢の急変を、日本人技術者に伝えねばならぬ』と私は力説した。然し、陳さんは冷然と言い放った。『海上の状態が急激に悪化しました。侯さんの船を最後に、海上の交通は杜絶しました。国民党の軍艦が海上を警戒しております。どうにもなりません。』」(『招かれざる国賓』76〜78頁)

 32人の技術者とその家族は、こういう経緯をなにも知らないまま大連を出発し山東半島にやってきたのである。
 さらに追い討ちをかけるようなことが起こった。8月5日の夜、阿部は井口とともに、到着した32名の名簿とランキング表をもって陳をたずね、給与等の待遇に関する相談をしようとした。

 「ところが、此の夜、陳博士は意外な態度を示したのである。――『政府が関谷先生を通して招聘したのは、井口、大槻、石黒、岡田、緑川氏数名に過ぎない。32名というこんな多数の人々を依頼した覚えはない。勿論、来た人々に対しては、政府としても充分好意を以って、その職を考慮してやる誠意は持って居る。』
  また、こんなことも言った。――『大連に於いて、日本人技術者が給与されて居た金額の倍額に更に一人当たりメリケン粉を1月22斤・食糧油・燃料等を支給する等と云う事は、約束したおぼえはない。常識的に考えても、それは二重給与である。然し、政府としては、充分各自の生活に困らないように善処するから、その点政府を信頼して戴き度い。』
  私は、文字通り、あいた口が、ふさがらない思いであった。」


文字サイズ
文字サイズはこちらでも変えられます


お知らせ | プライバシーポリシー | お問い合わせ



Copyright (C) 2007-2009 OralHistoryProject Ltd, All Rights Reserved.