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装丁 石黒正範
 私はこのなかで、石黒恵智『北斗星下の流浪』を中心にして、ほかの人たちの証言や記録も随処に織り交ぜながら、この脱出行の経緯を辿ってみたいと思う。
 後述するごとく、これらの人たちは山東に渡って以後、一緒にいたのはほんのわずかな期間で、あとは中共側の指示でそれぞれ別々に行動することになった。
 
 『北斗星下の流浪』の著者・石黒恵智(えち)さんは、中試の所員であった石黒正氏夫人である。本書は、大連での終戦、家族挙げての山東半島行きから、1953年帰国するに至るまでの顛末を一冊に書き下ろしたものである。主婦の立場から、技術者である夫たちのこと、幼い子供たちのこと、行く先々で出会った中国人たちのことが、明朗な筆致で綴られている。恵智さんは一昨年(2007年)88歳で亡くなられた。
 今回石黒正・恵智夫妻のご長男・石黒正範さんにお話を伺うことができた。正範さんは昭和15年生まれ、終戦の年は5歳なので、大連での記憶は少ないが、成長とともに記憶は増えてゆく。しかし、母上の体験記には及ぶべくもない。そこで、『北斗星下の流浪』によって石黒一家の戦後の中国残留の足跡をたどりながら、正範さんの記憶にあるところを補足的に語っていただいた。
 
 正範さんの兄弟姉妹は、終戦当時は昭和17年生れの長女洋子さん、18年生れの次男東洋さんの3人であったが、20年11月に3男の武朗(たけあき)さんが生まれている。
 
 なお、『北斗星下の流浪』からの引用は≪ ≫で示した。
 
 (注) 中華人民共和国の成立後、国交のない日本では、政府をはじめマスコミも含めて多くの人がこの国を「中共」と呼んでいた。国家をことさらに支配政党の略称で呼んだわけは、一方に台湾に成立した国民党の中華民国を、もう一つの中国とみなしたからである。だから、「中共」と言う場合は、「大陸の方の共産国家」といったニュアンスで用いられた。一方、中華人民共和国を唯一の正統の国家と認める人たちは、ただ「中国」と称し決して「中共」という語を用いることはなかった。日中国交回復後は、さすがに中華人民共和国を「中共」と呼ぶ人は少なくなったように思われる。一時代の呼称であったとはいえ、「中共」という語には、日本では一種独特の響きがあったのである。だから、今日においても、たとえ中国共産党を指す場合でも「中共」という略称を用いることに抵抗を覚える日本人はかなりいるはずである。日本では「中共」はこのように手垢の付いた言葉になってしまっている。しかし、本来「中共」は「中国共産党」の略称であって、本国中国ではさかんにこの略称が用いられている――「中国共産党中央委員会」は「中共中央」というように。そうしなければ、頻出するばあい煩わしいことおびただしい。そこで本編においても、この略称で通すことにしたい。
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