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山下正男氏 第5回:9.残留の陰謀〜10.後衛の第一線にて

9 残留の陰謀

――終戦から2週間ほどした8月末に閻錫山が太原に帰ってきたということですが、日本軍残留の交渉はいつごろから始まったのでしょうか?

  帰るとすぐに始まりました。彼は8月30日に太原に帰ってきましたが、その翌日には第1軍司令部に澄田を表敬訪問し、その翌日9月1日には、澄田、山岡が第2戦区司令部に閻を訪問します。
  この間の双方のやりとりは、元満洲日日新聞の記者上田武夫氏が日本山西会の保存資料『山西秘帖』から再現したものがあります。
  この9月1日の訪問の際、閻錫山の側から日本軍第1軍を全軍山西に留めてほしいという要請が行われました。これに対して澄田は、次のように答えています。
  「第1軍全員を残留させることは絶対不可能である。一部の兵力を残留させるのであれば、充分考慮の余地がある。将兵各個の自由意志に基づく残留選択の方法なら可能性があり、居留民については希望により全員残留させても差し支えない。」
  ここで早くも一部兵力残留という考え方が示されています。閻錫山は予想外の迅速な反応に喜び、さらに話を進めます。
  彼は「太原駐屯の一部日本部隊を治安維持のため、太原およびその周辺の警備に充ててほしい」と日本軍の協力を申し入れます。
  澄田は、これに対して、「日本が復員のため待機中の期間であれば何ら異議はない。治安維持に協力することは信義上からも断る理由がない」と応えます。「しかし、若干問題が残る・・・」と懸念を表明しかかると、閻錫山はすかさず、「私は第2戦区受降主管の立場にある。すべての問題の責任は私にあり、貴下に迷惑が及ぶようなことは一切ない」と言いました。
  澄田の懸念したのは、治安維持のうえで万一武力衝突が発生した場合、たとえ防衛のためであっても、わが軍は既に降伏を宣言し、表向きは武装を解除されている、再度武器を取って交戦することは、その理由のいかんを問わずポツダム宣言違反になるであろうということであった。
  閻錫山は、そうした懸念を打ち消すように、さらに「私の責任を明確にするために一つの考えがある。もし貴下のご承認をいただけるならば、私は貴下を第2戦区司令部の総顧問に、山岡参謀長を副総顧問に招聘したい。その他の将軍各位についても貴下のご推挙をいただければ、顧問に就任していただくことはやぶさかではない」と提案します。
  澄田は無言でこの総顧問の招聘を受諾しました。そして閻錫山から大邸宅を与えられることになります。山岡も副総顧問の招聘を受け、第114師団師団長三浦三郎も顧問に就任しました。

第1軍司令部があったところ
  こうした経緯のうえで、閻錫山は9月3日、日本居留民の有志数百人を省政府大礼堂に集めて演説しました。
  「日本人の皆さんは、この山西に残って、私に協力してもらいたい。皆さんの生命、財産は絶対に保証します。将来の生活はご希望に沿ってお世話をしたい。
  山西は世界一資源の豊富なところです。その資源を日本人の技術をもって開発し、中国一の産業地域にしたい。」
  その翌日には、澄田賚四郎以下幕僚10名を東花園に招き、盛大な宴会を開きました。
  同じ日、閻錫山の腹心である第2軍軍長の趙瑞から城野宏に、「閻長官の命令で、日本軍と極秘の話し合いをしたい。日本側の代表には岩田と城野になってもらいたい」と申し入れがありました。
  城野宏から連絡を受けた岩田参謀は、山岡道武参謀長の指示を受け、保安司令部の宿舎で、通訳抜きの三者会談を行いました。会議は秘密を要するため、城野が自ら通訳の役をも兼ねたのでした。
  趙瑞はその日の話し合いの顛末を閻錫山に、岩田も山岡にそれぞれ逐一報告し指示を受けました。極秘の会談は5日続きました。
  閻錫山側は、再び「第1軍全軍を改編して閻錫山の軍隊とする」よう提案してきました。
  それに対して、岩田は「日本軍は天皇の軍隊であるから、軍司令官の意志で閻軍に改編することはできない。しかし、適当な方法であなた方の要求にお応えしましょう」と返答しました。
  5日間の会談の結果、次のようなことが約束されました。
  1. 日本軍は、閻錫山軍に参加を志願する兵士を調査し、「現地除隊」の形で除隊させる。そして除隊した個人を閻軍が採用するという方式で日本人の軍隊を作り、閻軍の指揮系統に入れる。
  2. 閻軍に参加する日本兵は優遇する。
  3. 日本軍の主力が復員帰国する前に、閻軍の訓練を行う。
  このような協定ができた後、それを実現する工作は、趙瑞から閻錫山の妹婿で山西省政府の秘書長であった梁綖武(りょうえんぶ)に引き継がれました。梁綖武はすぐに「合謀社」を立ち上げ、自らその社長に就任すると共に、第1軍からも幹部として城野宏ら4人を加えました。
  合謀社の任務は、なんと言っても第1軍残留部隊の組み立てです。軍事組長に就任した城野宏は、さっそく『日本人の立場』を執筆して、日本軍兵士や日本人居留民に「残留の理念」を宣伝してまわりました。
  「敗戦後の日本は連合国に占領され、植民地と化している。そのような中で我々のこれから歩む道は米軍による被支配国家に服従するか、中国共産党のバックにいる赤色ソ連の影響を受けるか、さらには真の日本独立かの三つの道があるのみである。今、閻錫山は我々を必要として残留を呼びかけている。彼らに協力して閻錫山が山西独立王国を建国した暁には、その協力の下で日本の復興も可能である。」

  閻錫山の側からも、先の協定で謳っていた「日本兵を優遇する」という項目の具体的な内容が示されてきました。
  • 「留用する日本軍人は、全員将校として待遇し、日本軍階級より3階級を昇進させる」
  • 「全員宿舎を給し、営外居住を許す」
  • 「合同期限は2年とし、期が満ちて帰国を希望する者には、帰国を責任もって手配する」
  • 「日本からの家族の呼び寄せ、家族への送金等の便宜をはかる。中国婦人との結婚は歓迎する」
  第1軍ではこれをうけて、所属の各部隊に命令を出しました。
  「閻錫山はこのように日本人を優遇するとしている。各兵団は閻錫山の期待に背いてはならない。さらに多くの将兵を自発的に残留せしめよ。残留を志願する者は至急手続きを取れ。」
  こうなりますと、進んで残留する者こそが「愛国者」で、帰国を願う者は卑怯者になってしまいます。日本軍・居留民の間で、残留は一大議論になりました。


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