logo

オーラルヒストリーとは お知らせ 「戦中・戦後を中国で生きた日本人」について インタビューリスト 関連資料

インタビューリスト


山下好之氏 第8回(最終回):15.帰国後のこと

15 帰国後のこと

 山下さんは1958年、30歳で帰国された。1944年、17歳で日本を離れてから14年ぶりの帰国であった。最後に帰国されてから後のことを簡単に伺った。

 「帰国して半年ばかり宇部にいました。しかし、仕事はすぐにはありませんし、宇部のようなところでは中国語を使うような仕事は何もありませんでした。そうこうしているうちに、香坂順一さんが手紙を下さり、東京に出た方がなにか仕事があるのではないか、と言ってきてくれたものですから、こちらへ出てきたのです。
 東京へ出てきてからは、台湾、シンガポール,タイといったところの新聞に日本の企業の広告を載せる、そういう広告作りを請け負っている会社がありまして、中国語関係の広告作りの手伝いをやったりしました。まあ、大した仕事ではなかったです。だからこの当時は生活も大変でした。
 1964年ごろですが、まだ日本が中国と国交回復はしていない時、大阪の倉敷レイヨンがLT貿易でビニロン・プラントを中国に輸出するということになりました。それで、大阪外大の中国語の主任教授であった金子二郎氏が、倉敷レイヨンから頼まれて、私を訪ねてきたのです。輸出が始まるが、中国語がしゃべれる人もいないし、翻訳をちゃんと出来る人もいないので、倉敷レイヨンに行ってくれないかと言われました。金子さんは香坂順一氏から僕のことを聞いて、尋ねてきたということでした。
 それで倉敷レイヨンの嘱託になりましたが、ここは待遇がよかったですね。同じ頃に大阪外大から大河内さん、上神さんも嘱託で入ってこられました。大阪に西日本貿易という会社がありましたが、そこの中国語のできる片山さん、中田さん、沖森さんも倉敷レイヨンの仕事を助けていました。当時は、次から次と中国から研修生が来ていました。午前中は工場で実習の前の講義があるので、その通訳をし、午後は実習で現場に一緒に出かけて行って、彼らの通訳をやりました。」

 2005年は、中国にとっては抗日戦争勝利60周年の記念すべき年であった。8月末、中国政府は抗日戦争当時に八路軍に参加した人とその家族・遺族を9日間中国に招いて歓待した。山下さん夫妻も招待された。5月に反日暴動が中国各地に吹き荒れた後であったが(いや「後であっただけに」と言うべきか)、中国の新聞やテレビは連日大きく日本の老戦士たちのことを報道した。
 この抗日戦争勝利60周年紀念行事には、世界22カ国、206名が招待され人民大会堂に集まった。中国首脳による挨拶があり、抗日戦争参加者には紀念章が授与された。

 
抗日戦争参加者にのみ授与された記念の盾 抗日戦争参加者のみに授与された記念章
『中国国防報』2005年12月6日に掲載された山下さんに関する記事
 
 
記念式典に招待された元ソ連軍将校と(左から2人目山下さん。右端は末松千里氏)

 山下さんは、今は毎週一回東京都江戸川区の区民ホールで中国語の講座をもたれ、20名近い聴講者に講義をされている。中国語を教えながら、時に中国での山下さんの体験を話される。聴講者も長く通っている人が多く、その人たちの要望に応えて、時々中国旅行に出掛けられる。これまで旅行したところは、北京、上海、西安、桂林、海南島、重慶、大連、瀋陽、長春などだそうである。


文字サイズ
文字サイズはこちらでも変えられます


お知らせ | プライバシーポリシー | お問い合わせ



Copyright (C) 2007 OralHistoryProject Ltd, All Rights Reserved.